十王堂(草加市柿木町) (1)
Albums: 埼玉県1 東部・利根・県央/武蔵国1
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豊田氏──
多賀谷七代記によれば豊田治親が多賀谷氏に攻められ自害(重臣 飯見大膳正に謀殺されたとも頁変えて記されている!! 別途弟将親が自害だとも!┐(‘●言●` ≡ ‘●言●`)┌)、室は東弘寺に入り菩提を弔ったと記されているが、
草加では最期の城主は豊田安秀(照合すれば治親なのだが)でその妻子が逃れてきた土着、帰農したと残っているようだ。そして柿木開拓の祖と。つまり柿木氏は豊田氏後裔だと┐(-_-Ξ-_-)┌
常陸大掾系図では治親とその子小次郎治演、弟重政とその子正家、弟東弘寺忠円で途絶えている。
滅亡は天正5(1577)年または天正6(1578)年。
いずれにせよ、多賀谷家に滅ぼされたことは間違いない。内部から(小田家派・多賀谷家派の分裂)も外部からも。
豊田氏豊田姓は4系統うかがえる。こちらは平氏、桓武平氏、高望王流、良文流、房総平氏。
Webで記している方を見かけないが、
下総豊田氏
などとタグを記しておこうと思います。
豊田郡を与えられたから豊田を名乗ったんですが。
小田家麾下にあった治基が豊田姓を始めているが、豊田郡を与えたのが小田家なのか鎌倉幕府なのか……
茨城下総を歴巡した際、調査はしましたが記事にする気はなく作文しませんでした笑
それがこちらで縁に恵まれたので、ちょろっと∠(`´)ビシッ08-14-2024 20:04 晴耕雨読 @黄昏の番犬 (0)
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