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九戸城と三戸城の石垣の産地はどこか?(秀吉の天下取りと奥州仕置)

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写真: 九戸城と三戸城の石垣の産地はどこか?(秀吉の天下取りと奥州仕置)

写真: スマートフォン・竹細工ポシェット;Pochette bamboo for smartphones 写真: 女性神職の装束;Costumes woman priest. The far right is a Shrine maiden costume.

盛岡市は約20億円で城復元を計画している。
南部氏は九戸政実の乱以降、居城を三戸から福岡(九戸城)に移り、最終的に盛岡城を居城とした。
信長の野望 http://www.youtube.com/watch?v=TFYl_aZ4-fo
歴史ミステリ.com http://rekishi-mystery.seesaa.net/article/360548463.html

※三戸城は山城、九戸城は平山城。石垣の石材は安山岩が殆どを占め、花崗閃緑岩は少ない。安山岩は転石が多く、加工した石は少ない。天正19年(1591)から既に400年以上建っており、石材の産出地は不明のままである。

今回、地質と歴史の両面から石垣の石材産出地を探っている。
1.花崗閃緑岩は一戸町の茂谷山岩体が最も近い。切り出した証拠として矢穴(くさび跡)がある石が見つかっている。
2.安山岩の候補は3箇所あり、名久井岳安山岩(両輝石安山岩)、仁左平デイサイト(旧名称 石英安山岩)、合川安山岩。
?名久井岳安山岩 節理を持った溶岩の他に大きな転石が馬淵川の駒込地区で見つかった。
?他の2箇所は未調査。
?岩手県二戸市舌崎地区、豊年橋付近にて、矢穴の痕跡がある安山岩転石を見つけた。石垣建設の際、運搬中に落ちた石材は縁起が悪いとして使用されなかった。それが残念石である。
※この石がヒントとすれば、仁左平デイサイトか合川安山岩(石切所)になる。
※今後は石材となり得る仁左平デイサイトがあるかどうか調査を進める。同時に、石切所の名称に適合する安山岩露出地も探る。

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